21世紀の国家安全保障局に所属する女性首席監察医である曲蓁は、繊細な玉手で数えきれないほどの死体解剖と人命救助を行い、その手に世界をも変えられる力が秘めていると、人々はそう確信していた。 しかしある日任務失敗で命を落とした彼女の魂は異世界に飛ばされ、次に目を覚ますとすでに大盛笋渓県の代々医館を営む顧家の一人娘になった。 棺桶から身分不明の赤ん坊が生まれた?片手で死者の解剖、片手で赤ん坊の救助、彼女は必ず天地をひっくり返し、魑魅魍魎をも踏み台にして雲の上を行って見せるだろう。 両親を悲惨に死なれたという奇天烈な境遇の持ち主?真実を見抜く慧眼と、懸案を断ずる鉄筆をもって、彼女はきっと貪官を踏みつけ、汚吏に鞭を打ち、汚職を正して再び世に正義をもたらすだろう。 願わくば死人をも喋らせる力を持つ彼女が求むるは冤罪の根絶と、政界の浄化と、 彼である。 「人質に取られた大離の皇子が君に恋をしていると噂があり、君も彼のことをすいてるように見え、いっそのこと…」 「本心を言え!」 「君を欲するものは決して少なくない。現にあの凛々しい晏王の嫡男だって…」 「本心を言え!」 「君ほどの美貌の持ち主は、何も俺のような廃人を相手にしなくても…」 怒った曲蓁は、彼を寝床に押さえつけ、歯を食いしばって「本心を言え!」と繰り返した。 男はしばらく黙り込んで彼女を見つめていた。「そばにいてくれ」 曲蓁もニコリと「初めからそういえばいいじゃない!」
それは、真夏の6月、雨続きの日だった。
笋渓(じゅんけい)県、東通りにある医館「回春堂」にて。
曲蓁(きょく しん)は最後の患者を送り出すと、店の外に「往診中」の看板を掲げ、城門に向かった。
「あら、曲ちゃん、今日はお前さんがあの未亡人の張さんに薬を届ける番かい? 雨の日は道が滑りやすいから、気をつけておくれ」
青石畳の道の両側に手持ちぶさたに座っている人達は、彼女を見ると笑顔で声をかけた。
曲は丁寧にお辞儀して、小雨の中、傘をさしながらのんびりと歩いた。光陰矢のごとし、ここに来てもう10年も経ったのだ。
彼女は、21世紀最年少の脳外科学の学者として名をはせ、国家安全保障局の主任監察医をも兼任していたが、上からの秘密任務中に流れ弾に当たり、再び目を開けると、なんと笋渓県にある代々医館を経営する顧家の一人娘になっていたのだ。
6歳で医学を学び、13歳で回春堂の主人として働きだし、いつの間にかついたあだ名は「神医」であった。
彼女の父はなぜ娘の才能にもっと早くに気付かなかったのかと嘆いていたが、娘の中身がすでに異世界からやってきた別の人と入れ替わっていることには気づいていなかった。
曲がゆっくりと歩いていると、後ろからだべる声がかすかに聞こえてきた。
「あの未亡人、顧さんたちに出会えるなんて一体前世でどんな徳を積んだのやら。一銭も取らずに看病してくれる上、薬もくれるなんて!それに比べて張さんちときたら…」
「しーっ! 声が大きい!あの女に聞こえたらどうするのよ!この前なんてちょうど陰口言ってるのを聞かれた人がいて、顔を叩かれるわ服を引っ張っぱられるわで大変だったのよ!あの叩かれた後の顔の悲惨さったらないわよ…」
誰かが嘲るようにそう言うと、ため息をついた。「国境付近のあの戦争、何年もやってるけど戻って来れる人なんてほとんどいないでしょう?戦に出た旦那に死なれて、未亡人になった途端、お腹には子供もいるのに兄嫁に家を追い出されたらしいわよ。他の人なら泣いたり喚いたりするだろうに、何も言わないで城外のぼろ屋に引っ越して、洗濯と繕い物で生計を立ててね…まったく可哀想ったらありやしないわ」
「全くだよ」
降りしきる雨の中、声がだんだん遠のいてくのを聞き、曲はわずかに歩みを遅らせ、傘をぎゅっと握ると、ゆっくりと町を出ていったのだった。
彼らが張さんと呼んでいたやもめは名を黄秀蓮といい、大盛の国と離朝の戦争が始まった頃に張勝と結婚したが、のちに大盛の国は鹿野原の一戦で大敗し、戦死した将軍と数万人の兵士はみな雪に埋もれていった。
朝廷はそれに激怒して徴兵を命じたが、その時に兵として徴された張勝は、行ったきり8カ月間もなんの音沙汰もなかった。
やがて待ちに待った夫からの手紙が来たが、なんとも悲しいことにそれは訃報だった。
張勝の死を知った張家の兄夫婦は、黄秀蓮が妊娠していることにすら温情をかけることなく、銀銭はおろか、寒さから体を守る服すら一枚も与えず真冬に離縁状を突きつけ彼女を家から追い出したのだ。せめて持参金は返してほしいと言っても、かえって張王氏に殴られ危うく流産するところだった黄は、お隣さんに止められていなかったら、おそらくとっくに旦那の後を追って逝っていただろう。
それからは、張王氏は黄秀蓮が妊娠を利用して兄嫁である自分をいじめ、甥を殴ったなどと訴え、剰え自分の留守に乗じて義兄を誘惑したとまで周りに言いふらした。
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