二年前、ニーナは全く見しらぬの男性と結婚した。その結婚は条件付きの契約にすぎなかった。彼女がほかの男と寝てはいけないという条件がそのひとつだった。 ところがある晩、ニーナが間違ったドアをノックしてしまい、見知らぬ人に処女を奪われてしまった。 支払わなければならない慰謝料が彼女に重くのしかかっていたため、彼女は自分で離婚協議書を作成することにした。 協議書を渡すため夫に会いにいった。しかし自分の「夫」は他人ではなく、あの夜の男であることを知った彼女はショックを受けた!
金曜日、夜八時。
フォーシーズンズ・ガーデンホテルではパーティーが開かれていた。 会場は豪華なだけでなく楽しそうな雰囲気に包まれ、いろいろな人が乾杯しつつおしゃべりに興じていた。
ニーナ・ルーは目を上げて看板を一瞥した。 「これね、きっと」
しかし、彼女は思わず眉をひそめてためらった。 招待なしでこんな場所に入るのは容易ではないからだ。 どうすればいい。 ニーナが迷っていると、目の前に華奢な人影がゆらりと現れた。 ニーナ・ルーのクラスメイト、親友のイザベラ・チャンだ。
「イザベラ」ニーナは手を振って挨拶した。 まるで驚かせたかのようにイザベラ・チャンは振り返り、それがニーナだとわかると目をぱちくりさせた。 「何でこんな所にいるの?」
彼女はニーナに歩み寄ったが、以前プレゼントしたフェロモン香水の匂いがしなかったので眉をひそめた。 「どうして香水をつけて来なかったの?」
「大至急やらなきゃいけないことがあって、 香水なんかつけている場合じゃないの」 実を言うと、ニーナ・ルーは普段から香水をつける習慣がなかった。 彼女は人混みをじっと見つめた。 「ねえ、中に連れて行ってくれない?」
「もちろん」 イザベラは無邪気に微笑んだが、彼女の目はいたずらっぽく輝いていた。
そしてポケットから香水を取り出すと、ニーナに吹きかけ始めた。
ニーナはわざと鼻をつまんで咳払いをすると、 「私、香水アレルギーなの」と手で扇ぎながら言い訳した。
イザベラはニーナを、有無を言わせずホテルに引っ張ってエレベーターに押し込んだ。
ニーナの姿が見えなくなるや、イザベラの唇は意地悪く微笑む。
今日は運よく、彼女もフェロモン香水を持って来ていたのだ。 その香水はまさにお誂え向きの発明だった。 どんなにうぶで無垢な女性だってその香水をつけると挑発的になるし、 どんなに禁欲的な男だってその香りを嗅ぐと豹変してしまう。
その日のパーティーには何百人もの男がいた。 イザベラ・チャンはふんっと笑い、 「頑張って、ニーナ。 あんまり不細工な男に引っかからないといいわね」
最高級のVIPルームが2つあるだけの二十階に到着すると、 ニーナは左の部屋をノックした。すると魅力的な男性が、あだっぽい女性を腕に抱えてドアを開けた。
ニーナはつんのめって、眉をひそめた。
どうやらドアを間違えたのだ。
決まり悪そうに目を逸らすと、 「ごめんなさい、 どうぞ、お続けになって」
彼女はくるりと背を向けたが、男が呼び止めた。 「ちょっと待てよ、 ジョンを探しに来たんだろ?」
男はニーナをじろじろ見つめた。 彼女は見たところ純粋無垢そうだ。 ジョン・シーはかつて何度も女たちを捨ててきたが、今回ばかりは違うかもしれない。
ジェームズ・シーはついさっき電話でジョンにサプライズがあると伝えたばかりだったが、 まさか、そんなすぐに女性が届けられるとは思っていなかった。
「ジョンは中だよ」 ニーナがどういうことか理解する前に、男は彼女を部屋に押し込んでドアを閉めた。
彼女はスイートルームにつんのめると、ほとんど床に倒れ込んだ。 背後でドアがぴしゃりと閉じられるとニーナは不機嫌な眼差しで部屋を見回した。
足音が近づいてくるのが聞こえるとぱっと振り返った。 背の高いハンサムな男がニーナの前に立ち塞がっている。 ニーナはこれまでかっこいい男をたくさん見てきたが、いま目の前にいる男とは比べものにならなかった。
彼の上半身はしっかり引き締まり、 色白な肌とがっちりした筋肉は、水滴が腹筋を伝って流れ落ちると一層魅力的に見えた。 ニーナは固唾を呑んだ。
「堪能したかい?」 男が冷たくそう言ったので、ニーナは現実に引き戻された。 彼女は自分の仕事を思い出し、頭を切り替えて堂々と謝った。「ごめんなさい。 部屋を間違えたみたいです」
この世界に、 部屋を間違える人間は愚か者か人たらしの二種類しかいない。 男は彼女が後者だと思った。
ジョン・シーはニーナをじっと見つめた。 美しい顔、白い肌、そして高い鼻。
磁器のような肌はピンク色に淡く染まり、無垢に見開かれた目がきらきら輝いていた。 ニーナにはジョンを惹きつける何かがあり、
彼は思わず口元を緩めた。
「間違ってないぞ」 ジェームズが彼に言っていたサプライズとは、つまりこの女のことに違いない。
ジョン・シーはこの種の出来事に慣れていた。 けれども、ジェームズが以前に送ってきた女性たちはジョンにことごとく振られていた。 実際のところ、ジョンはこういう女たちに飽き飽きしていたので見向きもしなかったのだ。
しかし、目の前の女性が二十歳くらいでジェームズと同世代なのがわかると、とりあえず気を遣ってやることにした。
「いつからやっているんだい?」 ジョンの口調は、むしろ、甥のジェームズを叱っているようだった。
ニーナは困った表情を浮かべて眉をひそめ、 「初めてです」と正直に答えた。
これまで彼女は、教官室で交わされる議論を通してしか事件を担当したことがなかったので、 捜査のために現場に出たのはこれが初めてだったのだ。
聞くところによると、管区内で自殺が二件あったが捜査打ち切り間近らしい。 しかし、ニーナはそれが単なる自殺ではないと感じていた。 実を言うと、彼女は二つの事件の繋がりを探りにきたのだ。 ニーナは頭のどこかで、二人の犠牲者に何か関係がある気がしていたので、彼らを結びつけるための手がかりを見つけようとしていた。
彼女は今週から、自分の推理を立証する手がかりを求め、近辺のホテルをすでに何軒かまわっていた。
「初めてか。 それで、理論もある?」 そういってジョンは腰を下ろすと、
ワイングラスを手に取って一口飲もうとした。
そのときニーナはたまたまジョンの方に視線を向けただけだったが、そのまま目を離すことができなくなった。 「私は二年も理論を勉強したのよ」
「ああそう、 それで?」 ジョンは冗談でも聞いたかのように鼻であしらった。
「そんな仕事でも理論とやらを教えてくれるのかい? なんのために? 男で実践するためかな?」
「馬鹿にしないで!」と彼女は言い返した。 ジョンの声を聞いたとき、ニーナはくるりと向きを変えて出て行くところだった。
「おまえ、自分が尊敬に値するとでも思ってるのか? いくらもらったんだ?」 ジョンはタバコに火をつけ煙の雲を吹き出した。 女性がそのような業界に飛び込む理由がお金以外にあるとは、彼には到底思えなかった。
ジョンは胸の前で腕組みした。
「もらってないわ」とニーナはきっぱり答えた。
もらっていないって?
彼女はジョンが今まで目にした最も美しい女性だった。
しかも、このサークルでは女性は数万ドルの値がつくこともある。
ニーナが立ち去ろうとしているのを見て、ジョンは眉をひそめた。 「行っていいなんて言ったか?
彼が葉巻をはじくと、火の粉がぱっと明るく燃え上がった。 ジョンの前では誰も勝手に行き来などできないのだ。
ニーナは怒りに震えて立ち止まった。 「あのね、私たちの仕事はお金が全てじゃないの。 特に今回は、大きな危険が伴っているわけ。 こんな密室、うまくやらないと人が死ぬのよ。 もう行かなくちゃ」
人が死ぬって?
ジョンは無意識に股ぐりを一瞥した。 俺はそんなにひどい男か?
そのとき、彼の反応を理解してニーナは目を見開いた。
この男は彼女の仕事を誤解しているのだ……
ニーナの頬は紅潮した。
「恥知らず!」 彼女は男を指差しながら、 怒りにまかせてそう言ったが、
ジョンは顔色一つ変えなかった。 彼がその夜の雇い主だというのに、そんな言い方があるだろうか?
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